「社会はみな『演じる』ことによって成り立ってる。
俺は今『先生』を演じてるのであって、お前らは『生徒』を演じてる。
それぞれが演じることをしなければ社会は成り立たない」
当たり前の事と言えば当たり前だけど、いざそれが言葉となると面白いと思った。
以前、『大学受験のための小説講義』(著作:石原千秋)で同じようなフレーズを見た。
うろ覚えだけど、生徒は学校教育という規範の中で生きているのであり、受験でもそれが持ち込めてしまう問題は悪問だっていう記述だった気がする。
道徳かなんかの授業で「思ったことを自由に言っていいよ~」とか言われても、その自由は学校教育という規範の中での「自由」であって、それに反するものは受け入れられない現実。
小学生3年生くらいに受けた道徳の授業でとても印象的な物語を読んだことがあって、今でも覚えてる。
ある家の子どもがゲームを「今キリが悪いところだから!」とか言って、親にやめろって言われてるのにゲームやり続けたら、親にコンセントごと抜かれておわた\(^o^)/って話。
子ども心に、「おお、まるで僕みたいじゃないか」って思ったからやけに印象に残ってるw
それについて親が悪いか、子どもが悪いかって先生がみんなに聞いて、ほとんどが「子どもが悪い」方に手を挙げた中、僕と数人は「親が悪い」に手を挙げた。
いざ自分が遊べば、平気で時間無視することあるだろうに……みんな模範的な小学生演じてたんだな~。
純粋に、先生にいい子だと思われたいっていう思いがそうさせたんだろう。
当時の僕を含め、多くの小学生にとって先生に誉められるっていうのはこの上ない幸福ってもの。
今改めて、この道徳の内容を考えてみると…確かに悪いのは子どもだけど、親のやり方にも賛同できない。
やり方として、いささか強引で短絡的な気がする。
言っても言ってもやめないなら、次の日ゲーム禁止にすればいいじゃんっていうのが僕の結論。
そうすれば自ずと子どもはやめようとするし、同時に次の日に「我慢する」ということを身に付けられる。
もし禁止してやったら、その時に電源を切ればいい。
まあ、本当に人によって意見が別れるところだよね~。
なんか話題それた気がするけど、僕は受験まで残り1年ということで、無理やりでも謙虚な「受験生」を演じていきたいと思いました!